スピテック雑記

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私がデストルドー(タナトス)を経験した話

私がデストルドー(タナトス)を経験した話

 

こんにちは。

先日、友人との電話の中で「デストルドー(死への欲動)」の話がでてきたので、自分の経験談をまとめておこうと思う。

そもそもデストルドーって何よ

Wiki先生曰く、

デストルドー(英語: destrudoまたはdeath drive、ドイツ語: Todestrieb (トーデストリープ))とは、ジークムント・フロイトの提唱した精神分析学用語で、死へ向かおうとする欲動のこと。タナトス(英語: Thanatos)もほぼ同義で、死の神であるタナトスの神話に由来する。
(引用:wikipedia/デストルドー)

ということだそうだ。

この言葉を聞いたとき、「ああ、あの現象に名前が付いていたんだな、よかった。」と思った。

人は普段は生き長らえるためにご飯を食べたり、寝たりするよね。死に向かって着実に進んではいるけど、死のうと思って活動しているんじゃなく、今この一瞬一瞬を過ごすために活動しているわけだ。
でもこの「デストルドー」ってやつは、次の一瞬を生きようとするんじゃなく、この瞬間で終わらせようとする(=死ぬ)衝動。その瞬間をまだ体験したことがない人が多いかもしれない。
自殺願望とはまた違う。リストカットする人とも違う。彼らは死への希望や憧れ、幻想を胸に、生きたがっている人たち。それはつまり生への執着なんだよね。

でも、デストルドーは、突然やってくる。
その欲動は自分自身の意識の中で顕在化する前に、身体の方が先に反応する。

ブラック企業に勤めていたら「うつ」になった

私は、新卒で入社した会社を「うつ」で退職している。
朝7時に出社し、会社の掃除を行い、毎朝ほぼ叫ぶぐらいの大きな挨拶を全社員にする。業務中の怒号。朝礼でお前らは駒だと発言する経営者。秒単位での仕事。そして夜2~3時まで働く。まぁそんな風に1年間働いていたら誰でも精神がイカれてくるわけです。毎月退職者と入社する人がいる状況で、後にも先にもあれはすごかったと思う。

最初の異変は会社に行こうとすると、朝起きれない現象。元々朝が弱いのであまり気にしていなかったが、だんだん増えていった。そして無理やり身体を引きずって出社していると、会社最寄のエスカレーター付近で動悸やめまい、腹痛が起こるようになったのだ。
その辺りから仕事で凡ミスが増えていった。その頃入社当初配属された新規事業の部署で営業成績を上げていた私は、4月を待たずに、会社の花形部署へ異動していた。
当然ミスが増えれば、詰められる。自分でも、え?こんなミス??と思うほどのミスだ。しかも業務中に頭がぼーっとして考えられない。とにかく体調が一日中おかしい。笑顔が作れない。夜も寝付けない。体調不良で休む日が増えた。
なんだかヤバイ気がして、精神科を受診した。あっさりと「うつ状態」と診断された。

「うつは甘え」という風潮の中で

私は精神科から診断書を貰い、会社に「うつ」であることを告げた。多少は配慮されるのかという期待もあったと思う。
しかしそれは何の効力もなかった。むしろ「うつなんて甘えだろ」と言われ、笑われた。うつになる前は私もそう思っていたから、自分の精神の弱さを呪った。それから仕事を終え、家に帰宅するともうすぐ4時だった。

鼻先1cmと着信音

その日はいつもより早く帰ることができた日だ。夜の22時頃。仕事を終えて、頭がボーっとしている。
駅のホームにいた私は黄色い線の内側にいたはずだった。

正直、どうしてそうなったのか自分でもわからない。急行が通過するというアナウンスの向こうで、暗闇から二つの光る目がやってきた瞬間、ふわっと身体が軽くなり線路の方へと身体が傾いていた。

着信音とバイブレーション。

ハッと我に返った瞬間、私の鼻先1cmの目の前にすごいスピードで走りぬける電車があった。
警告音が遠くなっていく。

「もしもし」
「お、出た出た。なんか大丈夫かな~と思ってさ~」

友達からの電話だ。
力が抜けてヨロヨロとベンチへ向かう。足が震えている。

嘘だ。自殺なんて考えてない。考えたこともない。私は家に帰ろうとしているだけだ。電車を待っていただけだ。しかし、それは確実にその方向に、私を引っ張っていった。

「さっき、死のうとしていた」という事実だけが突きつけられる。きつい。だけど、そんなこと1ミリも考えたことなんてない。なんなら明日会社へ行ったら、もっと売上を増やすための施策を打とうと思っているのに。

そのまま小1時間、駅のホームで電話した。

限界なんだ。

そう気付いた私は、翌日出社して休職することになった。

死という快楽

これが、私の経験したデストルドー体験だ。
本当に一切、自殺なんて考えていなかったし、考えたこともなかった。

だから電車が通り抜けた後、自分の行為の意味がわかり恐ろしくなって震えた。
「生きるより死ぬほうが快適なのである」と身体が判断したという事実。
もう私の顕在意識が役に立たないと判断し、私の意識レベルでの判断をスキップして、死へと直行する衝動だ。死にたいんじゃない、あれは死を快楽と判断している。ここで命を絶てば、このストレスから解放される。死ぬ間際の痛みよりも数万倍死によって得られるメリットの方が大きいと判断している。それは、私にとって気持ちいいことだと。

恐らくデストルドーは、極度のストレス状態にないと起こりにくいのではないかと思う。基本、生きていた方が楽しいことや気持ちいいことが多いのだから、急いで死を選択するメリットがあまりない。大多数の人間が生きる方向にベクトルが向いているから、デストルドーに焦点が当たることなんてまずないだろう。

それでいい。

だけど、人が生きるか死ぬを天秤にかけた時に、死ぬことにメリットがあると判断するケースがあるということだ。しかもその判断は無意識下で行われる。そういう死への本能が最初から刷り込まれている。

だから遺書を残さずに突然飛び降り自殺したり、電車に飛び込んだりする人の中には、同じくこのデストルドーによって死んだ人が多いのではないかと思う。
計画的に自殺する人のことはよくわからないけれど。

人には死への本能があると知った今、私は簡単に他人に「頑張って生きてみようよ」なんて言葉はかけられない。「私は生きていて欲しいけど」という自分の希望を伝えるだけだ。生きるか死ぬかは本人の判断だ。そのストレスがどのくらいきついのかもその人の感覚でしかない。
ひどいと思われるだろうか?
だけど、生きるか死ぬかの選択は本人がしていい。
辛いなら死んでもいい。そういう自由が人には本能的に備わっている。

私はそれまでどんなに辛くとも生きることが正義だと思っていたけど、デストルドーを経験して無理やり生きながらえる必要はないということがわかったから、とても気持ちが軽くなった。死という選択は「アリ」なのだ。

でも、デストルドーを経験する必要はあまりないかと思うwやっぱりその極限状態になるのは本当に辛いことだし、不快しかないのだからw

だって私はやっぱり楽しいことがいっぱいある方がいいし、笑って生きていたいもの。