スピテック雑記

霊媒師&Webマーケターのブログ

毎度夜に爪を切っていたら親の死に目に会えなかった話

 

よくこう言うじゃないですか。

「夜に爪を切ると、親の死に目に会えない」って。

 

昔、この言い伝えの正しい意味を知らず、「夜に爪を切ったら、親が死ぬ間際に間に合わない」のだと思っておりまして。

本来の意味は「世(夜)を詰め(爪)る=自分の寿命を短くする=自分が早逝して親より先に死ぬから親の死に目には会えない」っていう言葉遊びのようなジンクスなんですね。

 

昔話ですけども、4年半前ぐらいに母親が末期がんで死んだんです。東京に住んでいたこともあって、急遽容態が・・・って時には新幹線の終電も終わっていて、夜行バスに飛び乗って大急ぎで地元へ帰ったのですが死に目には会えなかったんですね。

(その時は霊媒師になった後だったので、病室で母親の霊魂とコンタクトは取れたのでいいんですけどw)

 

私は母の生前から長い間「別に親の死に目に会わなくてもいいでしょー」と言いながら夜に爪を切っておりました。

 

結果、親の死に目には会えませんでした(白目)

 

ここで言いたいのは「思考は現実化する」ということです。

本来の正しい意味を知らなくても、「私は夜に爪を切っているから親の死に目には会えないのである」という思考が現実化したんでしょう。

 

ついでにその後、祖母の死に目にも間に合いませんでした。(おうふ・・・)

 

死に目に立ち会うことがいいことなのか?というのはよくわかりませんし、本人が立会いたいと思うならそばに居てやれ以外の回答が見つからないのですが、自分がそう思っていることは、どこかで具現化するんだなぁと感じた経験です。しかもそれがジンクスときたら、まるで使い古された魔法の呪文のようにより具現化しやすいエネルギーに乗ってしまうのではないかと、そう思っています。

 

言い伝えやジンクスは、そう思っている・信じている人が多い分、小さいエネルギーが、その方向に流れやすくなっているんでしょう。

一種の集合意識みたいに。

 

世の中、そういうものが溢れている。おまじないや伝承、冬至のゆず湯や、節分のひいらぎの飾りとか。

 

こういう意識のエネルギーの流れっていつか可視化できると面白いんだけどな。世の中の出会いや別れもエネルギーの総量で計算できるんじゃないか。

 

・・・なんて想像が楽しい昼下がり。

 

 

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